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素人の素人による素人のための八重山民謡ガイド[9] しょんかね節 |
2007.12.21 UP
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実際に先生に習っているわけでもありませんし、沢山の本を読んだわけでもないので、
本来、とても他人様に八重山民謡を解説できるほどの知識は持たない私ですが、
もちろん私よりももっと知らない人もいるわけで、そういう方のために、
私が知っている限りの知識で八重山民謡の紹介をします。
これから八重山民謡を聞いてみようという時に、少しは参考にしてもらえるとありがたいです。
でも所詮素人の聞きかじりなので、かなりの間違いや思い違いがあると思いますが、
そんな時は堪忍して下さいね。
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人生も折り返し点を過ぎてしばらく経つと、新しい出会いよりは永い別れの方が圧倒的に増えてきます。この歌をしみじみ「良い」と思うようになったのは、私もそんな年齢に達したからなのかもしれません。 自分の年齢を感じた時に、それに抗うように若い人たちの和の中に飛び込んで行ったり、あるいは新しいチャレンジを始めたりするのは素敵な生き方ですが、その一方、自分が若い頃には気付くことが出来なかったものに気付くことが出来るようになったことを知って、年齢を重ねた自分を面白がると言うのもまた「あり。」なんじゃないかという気もしますね。 とまあ、そんな話はさておき…(^_^;;。 「しょんかね節(与那国ションカネー)」と言えば、八重山の「三大情歌(なさきうた)」の一つとも言われる名曲です。「与那国島」と言えば、日本の南端の沖縄県の、その中でも「先島(さきしま)」と呼ばれる八重山の、その中でも最も西の端に位置する、本当の離島。最近ではTVドラマ「Dr.コトー診療所」のロケなんぞに使われて有名になりましたが(^_^;;、八重山の中心である石垣島よりもさらに西に120km、石垣島よりも台湾の方が近いと言う最果ての地にあり、海も荒れやすくて渡ることが難しいことから、かつては「どぅなん(渡難)」とすら呼ばれていた島でした。 (今も八重山の泡盛の有名銘柄に「どなん」と言うのがありますね。ただし「渡難」は当て字に過ぎなくて、「どぅなん」の語源は別のものだという説もありますが。) その島で生まれたと言われる「しょんかね節(与那国ションカネー)」は、遠い首里や石垣から与那国島に派遣された琉球王府の役人の現地妻となった女と、任期を終えて中央へと帰る夫との別離を題材にした歌だと言われています。 今でこそ飛行機で渡ることも出来る与那国島ですが、黒潮のど真ん中にある海は海難の名所で、かつてはそこへ渡るのも命がけ、そこから帰るのも命がけという島でしたから、一度島を離れてしまえば、命ある限り二度と遭うことは難しかったことでしょう。そんなことは百も承知で、妻は自分を島に残して船に乗ろうとする夫に、 「与那国への渡航はまるで池の水の上を進むように簡単です。だから安心して(再び)渡って来て下さい。」 と歌い掛けます。そんな妻に対して夫もきっと、それが決して果たすことの出来ない約束だと十分に知りながら、 「きっとすぐに帰ってくるよ。心配するな。」 と答えたのではないでしょうか。 しかし、首里(石垣?)に帰った夫が本当にもう一度与那国に渡ろうとしたならば、妻は「そんな危険なことは止めてください。」と言ったかも知れませんし、与那国に残された妻が海を渡ろうとしたら、夫もまた、「そんな危険なことは止めなさい。」と言ったかもしれません。 「悲しみ」と言うのは、人の力ではどうにも抗い得ない大きな力に向き合わされた人間が感じる心の動きだと思いますが、「しょんかね節(与那国ションカネー)」にはそのような、人間にはどうすることも出来ない「悲しみ」が詰まっています。それはある部分では一つの諦念と共通するものを持ちながら、それでも諦めようとしても諦められない。それでいてやはり諦める以外にはない。そのことも良く分かっている。そういう心です。
ただし、ここで取り上げた歌詞は、「渡てぃいもり」の部分に込められた意味をどのように解釈するかによって、かなり趣の異なるものにはなりますね。
「しょんかね節(与那国ションカネー)」は、与那国島ではもともと、単に「スンカニ」と呼ばれていたようです。(ドゥナンスンカニ)。それが石垣に伝わり、三味線を伴った“節歌”として整えられて、「しょんかね節(与那国ションカネー/ションカネー/ションカネー節などとも)」になりました。 * * * さて、その「しょんかね節(与那国ションカネー)」のお勧めCDですが、ここはやはり、与那国歌と言えばこの人、与那国出身の民謡日本一、宮良康正を外すことは出来ません。
ところでこの「しょんかね節(与那国ションカネー)」、歌詞の内容は男の立場から歌ったものと、女の立場から歌ったものの、両方があります。「だから男女両方でそれぞれのパートを歌わなければならない。」な〜んて、変な固定観念に縛られた下らないことを言うつもりはさらさらないのですが、ただ、ちょっと女性の唄者の「しょんかね節(与那国ションカネー)」も聞いてみたいんですよねぇ…。 |
※ なお、八重山民謡の曲名や読み方の表記は、人により、CDにより、楽譜(工工四)により、必ずしも統一されていないのが現状です。
このページで採用している表記以外の表記も多いと思いますが、ご容赦下さい。
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