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磯採集の是非について

〜 クマノミ乱獲という事実を踏まえての所感 〜
(2004.02.11)

 

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2003年にディズニー映画「ファインディング・ニモ」が公開されて以来、世界中のあちこちでクマノミやイソギンチャクが乱獲されており、絶滅に近い状態にまで追いこまれている地域すらあると言います。(04年1月時点の情報)。

新聞紙上などでも「一部の業者やファンが乱獲に走っているため」などと書かれているので、「採集したクマノミを飼っている」などと言うと、まるで極悪非道な人間だと思われそうですね(苦笑)。しかし「ちょっと待ってくれ」と、言いたいと思います。もともと自分の趣味として採集をしていた(している)人間が、その対象を絶滅に追いやるほどの乱獲をするものか!と、私は思うのです。

もちろん、無闇な採集を奨めているわけではありません。モラルの低い人間が増えれば、趣味の世界の領域とはいえ、自然の生態系に影響を及ぼす可能性は十分にあります。
しかし私が実際にフィールド(磯)に出て、自分も採集をし、他の採集家の方たちと出会ってお話をさせていただいた限りでは、そんな自然の生態系を崩してしまうようなことをしている人間には、まだ一度も出会ったことがありません。むしろほとんどは自然を愛し、自然を守ることに心を砕いているような方たちばかりなのです。

断言しても良いですが、クマノミを乱獲しているような輩は、まず、本当に採集と魚の飼育を自分の趣味にしている者ではないと思います。
そもそも採集を趣味としている人間は、自分がどれだけの魚を飼育できるかを、いつも気にしているものです。自分が飼育できない魚は採らないし、採っても逃がしてしまいます。(私も毎年、同じ磯で沢山のクマノミを観察していますが、もう2年、採集はしていません。クマノミは極めて簡単に捕まえられるのですが、例え採集しても、もう水槽がいっぱいで、自分の家では飼えないからです。)
それに輸送の問題もあります。仕事でしている業者で、十分な装備をお金を掛けて揃えていない限りは、沢山の魚を捕まえても、自分の家まで運搬することが出来ません。「持って帰って飼えるものだけ持ち帰る。」本当に採集を趣味としているような人間なら、そのことは誰もが身にしみて分かっていることなのなのです。

そして本当の採集家(私はまだ自分を「採集家」と呼ぶことは出来ませんが)は、“採っても良い魚”と“採ってはいけない魚”の区別がつくものです。以前、まだ採集を始めたばかりのこと、ある磯で出会った採集家の方が、私に教えてくれたことがあります。
「あの岩の裏側の沖にイソギンチャクのコロニーがあって、クマノミがいるよ。でもこの辺じゃ珍しくて、皆のアイドルだから、絶対に採らないでね。」

だいたい、同じ一匹の魚を自分で採集することと、海水魚ショップで買うことと、どちらが自然に大きなダメージを与えているでしょうか。
以前、実際に海水魚ショップで働いている店員の方の発言を聞いたことがありますが、入荷した魚の半数程度は、ショップの店頭で(客に購入される前に)死んでしまうそうです。しかも海水魚ショップで売られている魚のほとんどは輸入魚で、小売点の店頭に並ぶまでに最低でも4段階の流通を経ています(「現地採集業者」→「輸出業者」→空輸→「輸入業者(=問屋を兼ねる)」→「小売店」。ただし国内に「2次・3次」の問屋があるので、多くはもっと多段階になる。)。
それぞれの流通段階でそれぞれ1/2になるとは思いませんが、それでも必ず途中で死んでいるはずですから、我々が店頭で1匹の魚を購入するまでには、自然の海では最低でも4〜5倍の数の魚が採集され、結果、途中で殺されているのではないかと思います。我々“素人”の知らない間に。
しかも我々が購入した後でも、これは私の感覚ですが、クマノミやスズメダイなどの低単価な魚は、やはり1/2程度は、購入後1週間程度で死んでしまいます。すると結局、我々が海水魚ショップで購入した魚を、一定期間飼育できるようになるまでには、下手をすればその10倍以上の魚が犠牲になっているのかもしれないのです。
一方、採集した魚が死んでしまうことは(取り扱いを間違える初心者の時期を除けば)ほとんどありません。大抵はそれほど丈夫なもの。ですから1匹の魚を飼うために、採集する魚は1匹だけで済みます。それだけでも、どちらかせ自然環境に対する脅威であるか、明らかではないかと思います。(「仕事だから良い」とか、「趣味だからダメだ」というのは、また別の論議が必要です。)

さらに業者の採集は自然環境に対して、もっとずっと大きなダメージを与えることもあります。採集の効率を上げるために、薬剤や発破を使用することすらあるのです。このような採集が行われれば、我々、採集を趣味とする者が何人掛かっても、何年掛かっても出来ないような決定的なダメージを、一瞬のうちに与えることになるでしょう。流石に国内では現在は行われていないはずですが、初心者にも手が届き易い輸入物の低単価な魚は、そのようにして採集された可能性がないとは言えません。

このように考えると、私はむしろ、魚を飼いたいと思う人は全て自分で海に潜り、自分で採集をするべきだと思います。私は磯採集もします。スクーバダイビングもします。(ただしスクーバで採集することは絶対にありません。スクーバによる採集の影響力=自然破壊力は「趣味」の領域を越えるので、決して許されるものではありません。)
ただしどちらも自分の行為が十分に、自然破壊のひとつであることを知っています。いやむしろ、自分で採集し、自分で海に潜り、また陸上で魚を飼って観察しているからこそ、我々人間の生活の全てが多かれ少なかれ自然を破壊する行為であり、それだからこそいつも、なるべく自然に影響を与えないように、ダメージを少なくするように、心がけることの大切さに気付くことが出来たのだと思います。
(水門を閉じた諫早湾の内側でどんなことが起きているか、海に潜り、魚を採り、魚を飼っていなかったら、私はリアルにイメージすることができなかったでしょう。しかし今は分かります。陸上から見える範囲だけではなくて、水の中、泥の中ですら、肉眼では見えないミクロな生き物までが、どのように死んで行っているのか、容易に想像することが出来ます。役人や政治屋が自分で採集したり、海水魚飼育をしたりしていないことが残念です。)

私は、現場を見ないでエアコンの効いた部屋で安楽に寝転がっているような輩に、「魚を採集するのは可哀想だ。」などと言われたくありません。それは隠された現実に気付いていないだけだと思っているからです。事実が何かを知るためには、自分で現場に出かけて、自分も傷つくことを繰り返して学習するしかない、と私は思います。
魚を採り、採った魚を飼うことは、そうした「現実」を知るための、とても良い学習になります。玩具を買うのと同じ感覚で、店に並べられた「商品」を買うのでは、まず知ることが出来ない自然の姿を知ることが出来るでしょう。
もちろん、TVや映画、PCを通じて見るのとも比べ物になりません。フィールドに1時間いる間に身につく知識をモニター越しに集めようと思ったら、10時間、20時間、それ以上かけて、一生懸命WWWを検索しなければならないでしょう。「PCで調べるだけで十分」と言うのは、「サッカーゲームをするだけでサッカーの選手になれる」と言っているのと変わりません。

そういう学習機会から遠ざかることは却って、陰に隠れた悪徳業者の横行を許すことになります。自分でも知らぬ間に、より決定的な自然環境破壊に手を貸すことになる、擁護することになるのです。だから私は今、クマノミやイソギンチャクの乱獲が採り沙汰されている今だからこそ、あえて言わせてもらいます。

「書を捨てよ磯へ出よう。」

※追記

言うまでもありませんが、海水魚飼育関連業者の全てが悪徳業者なのではありません。この「ニモ・ブーム」を見て逆に「ブームが去るまでクマノミの販売はしません。」という海水魚販売業者もいらっしゃいます。現地の採集業者の中にも、以前から営業している方々の中などは、資源量の減少を憂い、「メスは採集しない」など、自主的なガイドラインを持っている業者があることも知っています。
ただし、そうした良心的な事業者の方々の方が目立ってしまう状況が、現在の状況でもあります。勘違いしないようにクギを刺しておくと、これは日本だけのことでもありません。「ファインディング・ニモ」が先だって公開されたアメリカでは、既に03年の夏前から、同様の社会現象が起きています。(そうした現象が起きることを十分に知りながら、何の対策もないままに公開したディズニーの拝金主義には飽きれますが、それはまた別のお話…。)

また逆に、磯で採集をする人の全てが、自然保護に気を付けているとばかりは言えないこともあるだろうとも思います。幸いにして私は良い先輩、良い友人に恵まれ、楽しく採集をさせていただいていますが、中には「自然環境などどうでも良い。欲しい魚がいれば全部採る。」と言うような人も、絶対にいないとは言いきれません。(だって磯採集する人、全員と知り合いじゃありませんからね。ただし、私は今までは実際には、そういう人にあったことはありませんが。)

だからいずれにせよ、私の主張は、一方の立場に立った、偏った意見です。それは知っています。ただし今はそういう主張をしておかないと、もう一方の主張に全てが飲みこまれてしまいそうな勢いがあります。私はそれを恐れます。だからこそ私は敢えて、偏った意見を主張し、吠えたいと思っています。
私の意見に納得できない人は、別に同意してくれなくても構いません。ただそうした主張があることを、心の片隅にでも留めておいて欲しいとは思います。その結果、ただ一色に塗りつぶされそうになった頭の中にほんの少しでも、別の色、別の考えが残れば、私は満足です。
(正直、世の中の大勢がここでの私と同じことを主張し出したら、私はまた別の主張をするでしょうしね…苦笑)


※追記2 (2007.06.19追記)

このページを公開してからかずいぶんと時間が経ちましたが、2008年が「国際サンゴ礁年」に指定されたことを受けて、弊サイトでも、アクアリストがサンゴ礁の保全に貢献することを願って、「『国際サンゴ礁年2008』に向けての提言」を掲載しました。併せてご覧下さい。
 → 『国際サンゴ礁年2008』に向けての提言

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