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幸福の兵士

(こうふくのへいし)

〜 遠い遠い南の島の、されこうべのおはなし 〜

 

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遠い遠い南の島で、一人の兵士が死んでおりました。兵士はずっと北の国の生まれでしたが、えらい大将に命令されて、その国の王様のためだと聞かされて軍艦に乗り、どこへ行くとも知らされぬまま、この島にやって来たのでした。兵士は自分が戦う相手の顔さえ見たことがありませんでしたが、この島で軍艦から降ろされると後はただ、敵の大砲や鉄砲の弾の降り注ぐ中を逃げ惑うばかり。時々遠くに見える大砲や戦車に向かって、鉄砲を撃ったり爆弾を投げつけたりはしましたが、あるとき敵が撃った大砲の弾のかけらに当たり、あっさり死んでしまったのでした。

兵士の死骸は大砲の弾を避けようとして隠れた大きな岩にもたれかかるようにして座っていましたが、そこへ一羽の美しい鳥がやって来て言いました。

「兵隊さん、兵隊さん。あんた、こんなところで何しているんだい?あんたの軍隊はとっくのうちに逃げちまったし、あんたの軍隊と戦っていた連中も、さっさと次の島に鉄砲を撃ち込みに言っちまった。あんたもさっさとどこかへ行けばいいじゃないか。」

言われて気がつくと、あたりはすっかり静かになり、聞こえるのはただ風と波の音ばかり。戦さはすっかり遠い所へ通り過ぎてしまったようです。
兵士の死骸が言いました。

「綺麗な鳥さん、ありがとう。でもせっかくだけど、オレはもう死んじまって動くことが出来ないんだよ。それにたとい動くことが出来たとしても、オレはこの島がどこにあるのかも知らない。軍艦の暗い船底で長いこと、どんぶらこどんぶらこと揺られてやって来たんだが、オレに命令した大将も生きているんだか死んじまったのか。今となってはお父っつぁんやおっ母さんの家に、どうやって帰ったら良いのかさえ分からないんだ。だから鳥さん、せめてもう少しオレの傍にいて、話し相手になってはくれまいか。」

美しい鳥は迷惑なことだとは思いましたが、遠い国から連れて来られて、独りで死んだ兵士の身の上を哀れに思って、兵士の死骸の望むまま、しばらく話相手をしてあげることにしました。

「時に鳥さん、どうだい。最近の島の様子は?」
兵士の死骸が聞きました。

「どもこうもないね。全くあんたたち人間の戦さってのも迷惑なものさ。あっちとこっちから、ある時急に真っ黒な船がいっぱいやって来たかと思うと、中からあんたたちみたいな連中がわらわらと沸いて出て、さっそくドンパチやり始めやがった。お陰で海は汚れるし木は折れるし草は枯れるし、その上やりたいだけやって気が済んだのかい?しばらくするとみんないなくなっちまって、後に残ったのはあんたみたいな死骸ばっかりだ。良いことなんかひとつもありゃしないよ。」

「そりゃあ、なんとも申し訳ないことだったねぇ。だけどもオレも別に好き好みでここまで来たわけじゃない。えらい大将に言われて、わけも分からずやって来たんだ。許しちゃあもらえないもんかね。」

「許すも許さないもないさ。私の家族や親戚は空を飛んで他所の島に逃げて行ったから、たいした迷惑も被らずに済んだが、丘の向こうのクマの子なんざ、哀れなものだよ。あんたたちが撃った鉄砲の弾に当たっておっ母さんが死んじまったから、餌を取ってくれるヤツがいない。お陰で飢え死に寸前さ。」

「それは何とも申し訳なかったねぇ…。」
答えて兵士の死骸はしばらく黙っていましたが、やがて何かを思いついた様子で美しい鳥に言いました。

「鳥さん。話し相手ということじゃないんだが、もうひとつオレの頼みを聞いてくれないか。オレはこの通り死んじまって、今さら身動きも出来ないんだが、幸いなことに日陰で涼しいところにいるから、肉はまだ痛んでいない。今ならまだオレの肉も食えるだろうから、ひとつオレの足を切り取って、そのクマの子に食わしてやってはくれまいか。せめて罪滅ぼしというわけじゃないが、どうせもう動くことも出来ない身体だ。それでクマの子が助かるのなら、その方が良いじゃないか。」

言われた鳥は少し困ったが、兵士の死骸があまり一生懸命に頼むので、とうとう観念して兵士の足の一本を切り取り、丘の向こうのクマの子に届けに行って来てくれました。

「ありがとうよ、鳥さん。嫌な役目を引き受けてくれて。それで、クマの子の様子はどうだったかね?」

「どうもこうも喜んでいたよ。3日ぶりに腹いっぱい肉を食ったてさ。お陰で身体の元気が出ましたって。これから自分ひとりでもがんばるって言ってたよ。」

「そりゃあ良かった。周りの様子も変わったことはなかったかい?」

「クマの子の住んでいる場所の周りは大丈夫だが、帰りに寄った海の様子が良くないねえ。大砲の弾が当たったのか、海岸にすっかり大きな穴が開いちまって、お陰で魚が一匹もいない。ちょうど子供のサメの群れが住み着いているんだが、こちらがやっぱり飢え死に寸前で、今にもお互い食い合おうって勢いだ。」

それを聞いてまた、兵士の死骸が言いました。
「鳥さん、ご苦労なことだがまたひとつ、頼みを聞いてはくれまいか…。」

そうして、兵士の死骸は次々と、足、手、胴体を、あっちの獣、こっちの魚に分け与えて、いつの間にか残ったのは、されこうべ一つになってしまいました。
残った兵士のされこうべが、美しい鳥に向かって言いました。

「綺麗な鳥さん、今までどうもありがとう。鳥さんのお陰でオレも自分の身体をあっちの獣、こっちの魚へと分け与えて来たが、いよいよ残ったのは、このされこうべ一つだ。しかも流石のされこうべも、もうすっかり肉が腐っちまって、目も見えないし耳も聞こえない。こんなされこうべでは喜んで食ってくれる者もいないだろうから、いよいよ鳥さんともお別れの時が来たようだ。今までこんなオレの相手をしてくれてありがとうよ。今さら鳥さんに何を差し上げることも出来ないが、せめて最後に礼だけは言っておくよ。」

「なあに、私はたいしたことはしちゃいないさ。私はあんたが生きていた時のことは知らないが、死んでから後のあんたのことは中々、好きだったぜ。」

そう答えた美しい鳥の言葉も聞こえたものかどうか。兵士のされこうべはもう何も答えず、静かに黙ったままでした。美しい鳥もまだしばらくはその場を立ち去りがたい様子で、されこうべの周りをチョンチョンと歩き回ったりしていましたが、やがて、されこうべがもう何も言う事も、何を聞くことも出来なくなったのだと知ると、いつまでもそうしてはいられないと思ったのでしょうか。ただ一声、チィッと鳴くと、たちまち岩陰を飛び立って、遠いどこかへ羽ばたいて行ってしまったのでした。

*  *  *

それから数年の後、あの美しい鳥が死んだ兵士を思い出して南の島へ立ち寄ってみると、兵士の死骸がもたれかかっていた岩陰から、一本の大きな樹が生えていました。岩陰の樹は高い空に向かって緑の葉を広げ、ふと気づくとその樹のてっぺんには、太陽と雨にさらされてすっかり真白くなったあの兵士のされこうべが、引っ掛かって揺れているのでした。美しい鳥はその姿を見て、「あぁ、あの兵隊さんのされこうべが、この樹を育てたのだな。」と知りました。そして、青い海を渡ってやって来た強い風がさっと南の島を吹き抜けるたびに、樹の上のされこうべがくるくると、風に踊って回るのを見ました。

美しい鳥はそれを見て、まるであの兵士の死骸がからからと、白い歯を見せて笑っているようだな。と思いました。

おわり

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